2006年09月03日
ひーげぇーしぃ(火返し)

「富盛の石彫大獅子」
八重瀬町東風平富盛集落の勢理グスクにあります。
一説によると、この獅子が設置される以前の富盛集落には火災が多かったため、
久米村の大田親雲上(蔡応瑞)に風水で見てもらったところ、八重瀬嶽が
ひーざん(火山)にあたっており、そこに向けて魔除けの獅子を置けば火災は無くなる
と進言された。そこで、村人達が獅子を勢理城の丘の上に置き、八重瀬嶽に向けた
ところ火災は無くなったと伝えられている。

しかし、神聖な八重瀬嶽に魔除けの獅子を向ける事を躊躇した村人たちは、
八重瀬嶽に向かないように、ほんの少しずらして置いた。
神聖な八重瀬嶽から木を切り出してくる事が出来ないため、木の枯れ葉などの
燃え広がりやすい燃料を自分たちが不注意に扱っていた事に火災の原因があると
分かっていたからだという。
実際には、獅子は八重瀬嶽に向かっていないそうです。
シーサーの向き(睨む方向)については、現名護市役所のシーサーも海に向かっている
という事で、建設当初色々と議論があったそうです。

また、この大獅子には沖縄戦当時の生々しい弾痕の跡が残っています。
大人のひとの親指がすっぽり入るくらいの大きい弾痕跡です。
八重瀬岳に陣地を構える日本軍からの弾よけとして、米兵が身を隠している
有名な沖縄戦の写真です。
Posted by noah at 02:15│Comments(0)
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